本殿(重要文化財)

慶長十年、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立された。大型の五間社流造で屋根は桧皮葺、正面の頭貫、木鼻や蟇股、向拝の手挟に彫刻を施し、全て極彩色で飾られている。全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗で非常に時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高い。    

拝殿(府指定文化財)

寛永2年、徳川頼宣の寄進による。正面軒唐破風は、手の込んだ彫刻によって埋められている。特に五三桐の蟇股や、大瓶束によって左右区切られている彫刻は、右は龍神伝説の光景、左は琴高仙人が鯉に跨って滝の中ほどまで昇っている光景を写している。豪壮華麗なこの拝殿は伏見城御車寄の拝領と伝えられている。

御香水(名水百選)

当社の名の由来となった清泉。平安時代の貞観4年、境内より水が湧き出し、 良い香りが四方に漂い、この水を飲むと病気がたちまち癒えた。この奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜った。

社務所

社務所では、お守りや御朱印などを授与している。ご祈祷の受付もここで行なっている。お守りや御朱印、その他の受付時間は9時から16時。ご祈祷の受付時間は9時から15時30分。      

石庭

小堀遠州ゆかりの石庭。江戸時代に小堀遠州が伏見奉行所内に作った庭を、昭和32年(1957)に中根金作が遠州流の手法を用いて当社に移築・作庭したものである。庭の形式は鶴亀蓬莱であり、長寿のシンボルである鶴と亀、理想郷とされる蓬莱島がそれぞれ石によって表現されている。庭園の手水鉢には、文明9年(1477)の銘があり、在銘のものとしては非常に珍しい。また、後水尾上皇が命名された「ところがらの藤」も移植、その由来碑も建ている。拝観料200円。拝観時間9時から15時30分まで。  

東照宮

御香宮神社の末社の一つで、徳川家康を祀る社。本殿は元和8年(1622)水野遠江守の造営にかかり、拝殿は寛永19年(1624)小堀遠江守の寄進によるものである。御香宮神社の本殿が家康の造営によることから、江戸時代においては特に重きをなしていた。創建時は現在の大神宮の東隣に鎮座し、社殿は南面していた。周りを池に囲まれていたことから正面には橋が掛けられており、他とは一線を画す末社として整備されていた。昭和36年の国道24号線拡張工事に関わる境内地譲渡に伴い、現在の位置に遷座した。

松尾社

御香宮神社の末社で、松尾大神を祀る社。明治24年建立。元は東末社にて山祇社として祀られていたが、当時の神職、氏子総代らの連署をもって松尾社と改めた。御祭神が酒造祖神であることから、工事費は全て伏見酒造組合の献納による。以来、毎年12月の中卯の日には同組合より、その年の醸造の安全を祈願する醸造始祭が斎行される。

厳島社

御香宮神社の末社で、厳島大神を祀る社。創建は不詳。明治時代に描かれた境内図には、現在の豊国神社の辺りに鎮座しているのが確認できる。昭和36年の国道24号線拡張工事よる境内地譲渡に伴い、現在の位置に遷座した。

稲荷社

御香宮神社の末社で、菊姫大明神と源福大明神を祀る社。宝永7年(1710)建立。

大神宮

御香宮神社の末社で、伊勢神宮の大神を祀る社。元禄7年(1694)建立。拝殿は元文2年(1737)建立。

豊国社

御香宮神社の末社で、豊臣秀吉を祀る社。明治6年創建。創建時は稲荷社の北側に鎮座していたが、明治40年に現在の位置に遷した。明治元年に明治天皇が勅令にて豊国神社を再興させたことを機に、当社においても由緒との関わりを鑑み、建立した。東照宮と豊国社を同じ境内に祀る神社は、全国でも珍しい。

能舞台

明治11年に九社殿の北三間を改築して造られたものである。今から600年ほど前から能楽の先行芸術である猿楽が当社で盛んに行われていた。特に秀吉はこれを愛好し、当社を大亀谷へ遷した際にも境内に能楽台を建てた。それを家康が現在の地に移したが、その後大破したため宝永5年(1708)に取り壊された。その後は、神能奉納の度に仮設の舞台を組み立ていたが、明治11年に和楽社を組織し、能舞台を完成させた。現在では秋の神能奉納を始め、区民文化祭、春秋の謡曲大会などに使用されている。

九社殿

慶長10年(1605)に古御香宮より移設されたと伝わる。言い伝えによると、慶長以前は9基の神輿を持っており、それらが収まる蔵ということからその名がついた。明治11年に、北三間を改造し能舞台となった。現在は、貸出施設として詩吟教室や仕舞教室などで使用されている。

第一駐車場

約30台駐車可能。駐車料金は、8時から20時までは入庫後20分は無料。以降は40分200円、最大料金1,000円。20時から翌8時までは60分100円、最大料金300円。月極契約も可能。

第二駐車場

約20台駐車可能。駐車料金は、8時から20時までは入庫後20分は無料。以降は40分200円、最大料金1,000円。20時から翌8時までは60分100円、最大料金300円。月極契約も可能。

第三駐車場

約40台駐車可能。駐車料金は、8時から20時までは入庫後20分は無料。以降は40分200円、最大料金1,000円。20時から翌8時までは60分100円、最大料金300円。月極契約も可能。

参集館

昭和9年に上皇陛下の御生誕記念事業として、氏子が集会できる場所作りを目的に建てられた。工事費は全て月桂冠11代目当主・大倉恒吉氏の献納による。現在は、貸出施設として、町内会議や作品の展示会、各種イベントなどで使用されている。

貴賓館

昭和9年に上皇陛下の御生誕記念事業として、参集館とともに迎賓館として建てられた。工事費は全て月桂冠11代目当主・大倉恒吉氏の献納による。現在は、貸出施設として、研究会や作品の展示会として使用されている。

儀式殿

神前結婚式を行うための式場。20名程度参列ができ、屋内の厳かで神聖な空間で挙式を執り行うことができる。

桃山天満宮

文禄3年(1594)豊臣秀吉の伏見築城にあたり、諸大名の屋敷を城の周辺に作らせた際、前田利家が、自分の祖先は菅原道真公であるからと、その境内に隣接した所に屋敷を建て、天満宮を祀った。元和9年(1623)伏見城廃城後は、天満宮を管理するものがなく、荒れ果てていたが、天保12年(1841)に観音寺の近くに遷され、住職教覚和尚により祀られた。その後、昭和44に御香宮の境内に遷し、現在に至る。

伏見義民の碑

天明5年(1785)、時の伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた文殊九助ら7人を伏見義民という。この碑は明治20年に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である。毎年5月18日には伏見義民顕彰会によって慰霊祭が斎行される。

表門

元和8年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。雄渾な蟇股、 どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫録を示している。特に注目すべきは、正面を飾る中国二十四孝を彫った蟇股で、向かって右から、 楊香、郭巨、唐夫人、孟宗の物語の順にならんでいる。また、両妻の板蟇股も非常に立派で桃山時代の建築装飾としては、 二十四孝の彫刻と併せて正に時代の代表例とされている。明治39年には重要文化財に指定された。

鎮守の杜

神が鎮座する森。古くから神道では自然に神が宿ると考えられており、聖域として豊かな森が形成・維持された。現在でも多くの神社に鎮守の杜が存在する。

納札所

古いお守りやお札を返納する場所。神社で受けられた焼納できるもの(お守り・お札・絵馬・注連縄)は返納が可能。寺院で受けられたもの(数珠・写経)やぬいぐるみ、不燃物は返納不可。

絵馬堂

宝暦5年(1755)建立。現在約80体ほどの絵馬が掛けられており、元禄享保以前に奉納されたものも見受けられる。中でも正保3年(1646)に奉納された「社頭猿巡しの絵馬」は御香水の病気平癒伝承が描かれている。また、算額と呼ばれる数学の問題が書かれた絵馬もあり、西岡天極斎の奉納にかかる。

祓所

祭典の際に心身を祓い清める場所。神職並びに参列者はこの場でお祓いを受けたのち、祭典に奉仕・参列する。

手水舎

神社にお参りする際に心身を清める場所。手水舎で心身を清めることを「手水を取る」といい、左手、右手、口、左手の順に清める。

土蔵

元禄17年(1704)建立。昭和36年に現在の神輿蔵が建てられるまでは、神輿蔵として使われており千姫神輿が収められていた。

神輿蔵

昭和35年を最後に神幸祭における千姫神輿の巡行が幕を閉じ、それに伴い翌36年、新たに巡行用として神輿を2基新調した。その際に新調した神輿を収める蔵として建てられた。現在は、昭和62年に新調した1基を加えた、計3基の神輿が収められている。

九香軒

徳川家康本殿建立400年記念事業として平成18年に竣工した。元は桃山町立売にあったのを譲り受け、玄関、お待合、水屋等を増築し諸設備を拡充。面目を一新して神社にふさわしく「九香軒」と命名した。現在は献茶祭の「本席」と御香水保存会の「月釜会」に使用されている。